「欠けを補う」 05.05.08
使徒言行録1:12〜26
以前に主イエスは、徹夜の祈りによって12人を「使徒」として
お選びになりました。イスラエルの12部族との関係もあって、
12人が選ばれたのです。
ところが、その時は11人しかいません。
イスカリオテのユダが欠けています。12使徒の形が崩れ、
本来の姿を失っていました。
ペトロは、ユダの悲劇的な最後を報告していますが、ユダを
責めたてる気持ちで語っているのではないでしょう。なぜなら、
ペトロも他の弟子たちもユダと同じように主イエスを裏切る
経験をしていたからです。
主イエスが捕らえられた時に、主イエスを見捨てて逃げ出した
弟子たちです。「イエスと自分は関係ない」と三度言ったペトロです。
みんな裏切り者でした。ペトロは、ユダと自分たちは仲間であったし
裏切りにおいても同じであったと思っていたでしょう(17節)。
主イエスに対する裏切りは、ユダだけの特別な事ではありません
でした。
主イエスに対する裏切りにおいて12使徒の形が崩れてしまった
ように、主イエスに対する裏切りは、本来あるべき人の姿を崩して
いきます。人は、神さまに正しく向き合う所で、本来のあるべき
生き方ができるようにと、神さまによって創造されているからです。
神に対して、裏切り、逃げ出すところでは、人は本来の形を崩す
しかありません。
ペトロは、その欠けを補って、元の形を回復しようと言います。
十字架にかかって復活された主イエスと出会い、罪の赦しの
恵みを知らされていたからです。そこにユダとの決定的で重大な
相違がありました。
主イエスと出会い、罪の赦しを知らされた者は、欠けを補って、
もう一度12人となって進み出します。
罪の赦しは、やり直しの道を開いてくれるからです。罪の赦しの
福音を聴かされています。
私たちも、神さまへの背きや裏切りによって崩れた穴があり
ますが、主に穴を埋められ、欠けを補われ、もう一度あるべき
本来の自分となって、進みだせるということです。